入門編:本物を見分ける

入門編として仏教についてお話しているサイトです。
先日、親鸞会という仏教の集まりで法話を聞く機会があったので行ってきました。
今回はその時の法話についてお話したいと思います。

法話を聞くことになったのもブログなどで仏教について書かれてあるサイトを見るようになったのがきっかけです。

今は仏像や骨董品などに興味を持っている若者が多いためか、年齢層も若干若いような気がしました。
どうやらテレビ番組の影響のようなのですが、それでも各地に眠るお宝が次々とその番組に持ち込まれ、想像をはるかに超えた高値にびっくりするといったこともしばしばありますよね!

まぁその反対の場合もあるのですが・・・
以前も、毛利家から譲り受けたという”雪舟の絵”が鑑定に出されたのですが、本人は一千万円を信じていたのにもかかわらず、実は5万円程度の偽物で、先祖代代家の宝といて大事に守りとおしてきたものが、二束三文だとわかり放心状態の持ち主の姿がありました。

有名な話ですが、あの聖徳太子は仏教こそ何億円どころではない人類最高の宝だと言っていたことを思い出しました。

「篤く三宝を敬え。三宝は仏・法・僧なり、すなわち四生の終帰・万国の極宗なり。何の世・何の人かこの法を貴ばざるそれ三宝に帰せずしては、何を以てかまがれるを直らせん」

というように有名な『十七条憲法』に聖徳太子は、こう喝破しているのです。

“世の中には三つの宝があり、仏と仏の説かれた法とそれを正しく伝える僧のことである。

三宝を心から敬い、いずれの世いずこの里においても仏法こそすべての人の最後のよりどころであり、救われる唯一の教えである”といわれたのです。
真実の仏教こそが私たちを本当の幸福に導くすべての人のための宝です。
しかし、その本物を知らないで偽物の仏教を本物と思い込んでしまっているほど不幸なことはないのです。
本物を見分ける目を養うことが大切になってくるのです。

仏教入門:浄土仏教

仏教の入門編としてお話しています。
仏教と聞くと地獄極楽を思い浮かべるかたもあるかもしれませんが、そのことについてはまた時間をとって書きたいと思います。

今まで仏教には大きく2つに分けられるということで、以前までは聖道仏教についてお話してきましたが、今回からは、浄土仏教についてお話したいと思います。

聖道仏教とは違って浄土仏教と聞くと、なんだか親しみやすいというか、どこか聞いたことがあるような名前だと思います。
でも仏教に入門したての私たちが間違えやすいのは、仏教と聞くとすべて南無阿弥陀仏と念仏を称えだけでいいんだと思いがちです。
しかし、そうではありません。
このことはまた時間をとってお話いたしましょう。

浄土仏教では、「すべての人を、必ず絶対の幸福に救う」という阿弥陀仏のお約束が説かれています。
これを阿弥陀仏の本願といいます。

「極悪を捨てず裁かず 摂め取る」

仏教の入門したての私たちにとってみたらお釈迦様だったり阿弥陀仏だったりいろんな名前が出てきますが、いったい阿弥陀仏とはどんな仏様なのでしょうか?
「釈迦の前に仏なし、釈迦の後に仏なし」
と言われるように、この地球上で仏のさとりを開いたのはお釈迦様ただ一人といわれています。
しかし、この大宇宙には、地球のようなものが無限といっていいほどあるように、
そこに仏さまが現れておられるので、大宇宙には数え切れないほどの仏がおられるのだと
お釈迦さまは教えておられます。
これを三世十方の諸仏といわれます。
お釈迦様をはじめ大宇宙すべての仏の先生が阿弥陀仏という仏さまなのです。
蓮如上人はそのことを「弥陀如来と申すは、三世十方の諸仏の本師本仏なれば」と言われています。
「阿弥陀仏は、大宇宙のあらゆる仏の先生である」ということです。

このように阿弥陀仏が本師本仏とあがめられるのは私たちを救うお力が他の仏よりもずば抜けているからです。
仏法では仏の念力や仏の力のことを光明といいますが、『大無量寿経』には次のように喝破されています。
「無量寿仏(阿弥陀仏)の威神光明侭最尊第一にして諸仏の光明の及ぶこと能わざる所なり」
“阿弥陀仏のお力は、諸仏をはるかに超えて、ずばぬけている”
だからこそ先生の仏さまなのです。
この阿弥陀仏のお力を12通りに分けて教えられたのが大無量寿経や正信偈にも出てくる「十二光」といわれるものなのです。
(※十二光についてはまた機会があったときにお話したいと思います。)

前回まで書いてきましたように、私たちは煩悩いっぱいで諸仏からも見放されたような煩悩具足のものです。
しかし、他人に嫌われるような子供は、なおかわいい親心のように、大宇宙の諸仏に見捨てられた極悪人なら、なおさら捨ててはおけぬと大悲やるせなく、何とか救わねばならないと立ち上がってくださったのが、阿弥陀仏といわれる仏なのです。
浄土仏教では、阿弥陀仏のお力によってのみ救われることができると説かれています。

仏教入門:聖道仏教③

仏教の入門編として聖道仏教についてお話しています。
今回で3回目となるわけですが、今回は仏教用語にも出てくる「煩悩」にまつわるお話をしたいと思います。

人は煩悩を持ちながら生きているというお話を前回までにしたと思いますが、煩悩で悪いことを思いつづけていますが、そんな人間はなぜ生きるのでしょうか?
この煩悩と格闘したとされるのが親鸞聖人なのです。
親鸞聖人は九歳で、当時、日本の仏教の中心地であった比叡山・天台宗の僧侶となられました。

聖道仏教の1つである天台宗は、『法華経』の教えに従い、戒律を守りながら煩悩と闘ってさとりを得ようとする教えなのですが、この天台宗の大曼の難行まで成し遂げた親鸞聖人でさえも煩悩は減りもしなければ、なくなりもしなかったというように言っているのです。
そんな親鸞聖人ですが、だれよりも真剣に心を磨こうと努めていたのですが、努めれば努めるほど人間の実態を知らされた親鸞聖人は「煩悩熾盛の衆生」と歎異鈔でいわれています。

(入門編としては少し難しい内容かもしれませんが、1度歎異鈔を読んでみることで仏教について理解が深まると思います。)
親鸞上人のいう「熾盛」とは、燃え盛るということであり、欲や怒りの煩悩が燃え盛っているのが人間であるということです。
俗にこのことを「煩悩具足の凡夫」ともいい、煩悩に目鼻をつけたような人間ということを意味します。
これは雪だるまのようなもので雪だるまから雪を取ったら何も残らないようなもので、私たち人間は煩悩をとったら何も残らないようないわば煩悩の塊であるということをいみしているのです。

このような煩悩具足の我々は、「仏法修行の器にあらず」と、諸仏からも見捨てられた極悪人であるというように釈尊は説かれているのです。

仏教入門:聖道仏教②

仏教の入門編として今回も聖道仏教のお話をしたいと思います。

聖道仏教では煩悩について話をされているのですが、この煩悩というものは百八あるとされているのですが、その中でも最も恐ろしいとされているものが3つあるそうです。
それを「三毒の煩悩」というそうです。

三毒というのは貧欲(欲の心)、瞋恚(怒りの心)、愚痴(ウラミ、ネタミの心)の三つのことを言います。
今回はその三毒である3つのよくについてお話します。

貪欲
貪欲というのは、あれが欲しいこれが欲しいという欲の心のことを意味します。
人間の中で欲のない人はいないのです。
「あなた欲がないわね!」なんて言葉を耳にしますが、本当に何の欲もないのでしょうか?
欲がないといわれる人にだって食欲や物欲や嫉む心だってあるはずなのです。
その欲の中でも代表的なものを五欲といい、食欲、財欲、色欲、名誉欲、睡眠欲の5つのことを言います。
食欲・・・食べたい飲みたいという心
財欲・・・一円でも多くのお金が欲しいという心
色欲・・・常に異性の関心を得ようと身を焦がし寸時も安らかでないという心
名誉欲・・・有名になりたい、褒められたい、認められたいと焦っている心
睡眠欲・・・暇があったら一分一秒でも長く寝ていたい、楽がしたいと思う心

これらの5つの欲は底なしであり、どこまでいっても満たされることはありません。
人は、その欲のために、どれだけ恐ろしいことを思い続けているかしれません。

瞋恚
瞋恚とは、欲の心が妨げられると出てくる、怒りの心このこを意味します。
怒という字は、心の上に奴と書くため、あいつが邪魔するからだ。こいつさえいなければと、心の中で殺しているのが怒りであり、激しいことは炎のようです。
人前で侮辱されたらどうでしょう「あいつのせいで、恥かかされた」という思いは一生忘れられません。
逆上して、衝動のままに親でも子供でも恩人でも心の中で切り刻んでしまうような恐ろしい心です。
この瞋恚のまま行動してしまった人が朝のニュースなどに取り上げられてしまうのです。

愚痴
愚痴というのは、恨んだり、ねたんだりする心であり、
他の人の幸せは苦々しく、他人の不幸がおもしろい心のことを言います。
人が不幸な目に合っているのをみて口では「お気の毒に」と言いながら、ひそかにほくそえむ心があることに驚きます。
この醜い心がとぐろを巻いていて、このような心で悪を作りだし、その自分たちで作りだしたものに苦しめられているのが私たちなのです。

仏教入門:聖道仏教

仏教の入門編として仏教とはどんなものかどんな種類のものがあるかなどを書いているサイトです。
今回は前回の2つの仏教に引き続いてお話することになり、2つの仏教のうちの1つをお話したいと思います。

「煩悩のさびを落としてさとりを開く」
仏教の目的としては、仏のさとりを得ることにあるのですが、聖道仏教に共通する特徴の1つとしては「私たちの本性は、清らかな仏性である。それが煩悩のさびによって曇っているから、修行によってそのさびを落とし、仏性を磨き出すことに全力を挙げよ」というものなのだそうです。

例えて言うならば私たちの心の中にはダイヤモンドのような素晴らしいものがあり、それを煩悩というゴミや埃がついて見えなくなっているから輝いていないのだ!ということなのだそうです。
その煩悩の汚れやさびを、修行により磨いていけば、ピカピカに輝きわたる時が来る、という考えが聖道仏教なのだそうです。

これは、磨く方法は違ってでも、聖道仏教に共通した考えです。

しかし、ここでいう「煩悩」とはいったいなんなのでしょうか?
煩悩とは「煩い、悩む」と書くように、私たちを日夜煩わせ悩ませる心のことであり、この煩悩は全部で百八あると教えられます。
年末から年始に掛けて突く除夜の鐘の百八もこの煩悩から来ているのです。
そして、新しい年をむかえたら欲や怒りの煩悩に煩わされないようにという願いを込めているとされています。

次回は煩悩についてもう少し詳しくお話していこうと思います。

仏教入門:2つの仏教

仏教の入門編として自分で勉強したことや知ることが出来たことを書いているサイトです。
今回は入門編第2弾として、「違い」についてお話したいと思います。

仏教っていろんな宗派があるけれど、どれも一緒なの?
うちは代々真宗だけど、他の宗派とは何がどう違うのかしら?
といった素朴な疑問がでてくるのも入門したてだと仕方のないことです。

仏教には主として「2つの仏教」があると言われています。
それは「聖道仏教」と「浄土仏教」のことをいいます。
では、これら2つの仏教はどこが違うのかをお話したいと思います。

まず、聖道仏教というのは、自力の仏教ともいわれ、厳しい修行などによって煩悩を抑え、減らし、なくして、さとろうとする教えです。
それに対して
浄土仏教は阿弥陀仏の本願によって無明の闇という心が晴れて、煩悩があるままで本当の幸せになれる、という教えなのです。

簡単に2つの仏教についてお話したのですが、入門編なのでもう少し分かりやすく書いておこうと思います。
仏教とは、仏の説かれた教えのことであり、仏というのは約二千六百年前にインドで活躍されたお釈迦様のことを言います。
35歳の12月8日に仏という大宇宙最高のさとりを開かれたお釈迦様が80歳でお亡くなりになるまでの45年間、説いていかれた教えを今日仏教といいます。

先ほども仏教を大まかにわけると聖道仏教と、浄土仏教の二つに分けることができるとお話しました。
聖道仏教とは、天台宗、真言宗、禅宗、華厳宗、法相宗、律宗などを指し、浄土仏教というのは、浄土宗や浄土真宗のことをいいます。
「でも、同じ仏教だからどちらでもいいのではないか?」なんて考える人もいるかもしれません。

しかし、決して同じではいいものではないのです。
この事についてはまた次回お話したいと思います。

仏教入門:仏様とさとりについて

仏教の入門編として仏教に関して分かりやすくお話しているサイトです。
そんな入門編第1回としてお話したいのが、ずばり「仏様」ついて。

「仏様」と聞くと仏教に関心の無い人はどのように思うでしょうか?
「仏様って亡くなった人すべてのことを仏様というんだろう?」
なんて思うのが一般的だと思います。
こんな仏教の入門編を書いている私でさえ、このように思っていた時期もありました。

しかし、亡くなられた方を仏様というのでは無いのです。
仏教とは「仏の説いた教え」ということなので、もし死んだ人を仏というならば、仏教は亡くなられた人の説いた教えということになってしまいます。
亡くなられた人が教えを説くことは出来るはずもないので、「仏=亡くなられた人」というのは間違いになります。

仏というのは「最高のさとりを開いた人」のことをいうのです。

最高のさとり、ということは、さとりといっても色々あるのかなと仏教に入門したての人はおもうかもしれませんね!

そう、その通り!
一口にさとりといいましても、低いさとりから高いさとりまで全部で52の位があるのです。
自力でさとりを開いていくのは大変なことで手足が腐るだるまでさえも30位しかさとりを開くことが出来なかったそうですよ。

仏教入門:はじめに

仏教についてお話する前に、なぜ仏教に興味を持ったのかお話したいと思います。

あれは、小学4年生のころだったでしょうか?
お釈迦さまに関する1冊のマンガの本が仏教に関しての興味を持たせたと言っても過言ではありません。
当時はただマンガという概念しかなく、仏教に入門しようとか考えて読んでいたわけではないのですが、いまでもそのマンガの内容は鮮明に覚えています。

そんなマンガの本と出会ってから十数年たった今。
仏教に関して興味をもち始めたので、入門編として誰にでもわかるように仏教に関して自分なりに調べたことをお話したいと思い、この仏教~入門編~と題してサイトを作成することになりました。

仏教は「宗教」の1つであり、どうしても若い人や仏教に関心の無い人からは敬遠されるのですが、でもこの仏教~入門編~を読んでいただければ、仏教と自分たちの生活や自分たちそのものが深くかかわりがあることがわかると思います。
そして、入門編からだんだんと仏教に関しての興味がわいてくることと思います。

でも、こんなことを書いていると何だか勧誘しているように思われても仕方ないですよね?!

よく知らない宗教団体が何かと悪事を働くために「宗教」そのものが偏見の目で見られがちだと思います。
しかし、仏教はつい最近誕生した宗教とは違うのです。
奥が深く歴史があるのが仏教で、その長い間いろんな人に慕われてきたのが仏教なのです!
そんな仏教をだれにでも分かりやすくまとめたのがこの仏教~入門編~なのです。

仏教に関して興味がない!なんていう人も、仏教はむずかしいのでは?なんて思っている人も、1度読んでみてください。
これであなたも仏教ツウになりますよ!!

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