仏教入門で知る「誰のためにお経をあげるのか?」

葬式や法事、また日々の家庭の仏事において、お経をあげる方もおられることでしょう。
そのお経は、亡くなった人のためにあげていると思ってはいませんか?

仏教と聞くと、死後に用事のあるものだと思っている人が多いようです。
人が亡くなるとお経を読んでもらう。お経は死人のご馳走であり、亡くなった人に聞かせるもののように思っています。

しかし、ちょっと考えてみると、おかしくはないでしょうか。
お経は、お釈迦様の説法(今なら講演)を、お弟子たちが後世のために書き残した、いわば講演録です。
お釈迦様は、死人相手に話をされたことはありません。もちろん、葬式も法事もされたことはないのです。

仏教を説かれたお釈迦様は、常に生きている人々に、生きている間に果たさなければならない、人生の大事を教えられたのです。

「え!?じゃあ、お経は何のために読むの?」

こんな声が聞こえてきそうですが、もちろん生きている私たちが聞くためです。チンプンカンプンで、聞いてもどうせ分からないと思うでしょう?だからこそ、読経のあと、そのお経の意味を聞かせていただくことが大切なのです。

「でも、お経を読んだら、死んだ人が苦しみの世界から浮かぶと、みんな言いますよ」

常識のように言われていることですが、「常識=正しいこと」とは言えません。

この疑問に答えておきましょう。

お釈迦様がご在世中にも、こんなことがあったそうです。

ある人がお釈迦様に質問をしました。

「お釈迦さま、長いお経を読んでもらったら、地獄に堕ちている者でも極楽へ往けるという人がいるのですが、本当でしょうか」

その時、お釈迦様は無言で立ち上がり、小石を一つ拾って、大きな池に投げられたのです。水紋を広げながら沈んでいった石を指さしておっしゃいました。

「そなたたち、この池の周りを、石よ浮かび上がれ、石よ浮かび上がれ、と言いながら回ったら、あの石が浮かんでくると思うか」

「お釈迦さま、そんなことで、石が浮かぶはずがありません」

「そうだろう。石は石の重さで沈んでいったのだ。どんなに浮かび上がれと言ったところで、浮かぶものではない。人間もまた自業自得によって、死後の果報が定まるのだ」

このように、読経で死者が救われるという迷信は、もともと仏教にはなかったのです。それどころか、そんな俗信を打ち破って、生きている時に、本当の幸福に導く教えが仏教なのです。

仏教の入門として、大切な内容なので、よく知っておいてください。

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