入門編:お釈迦さまってどんな方?(10)

仏教入門編で、お釈迦様についてお話ししています。今回も続けましょう。

肉体を痛めつける厳しい修行の果てに、太子は意を決し、これまでの修行を捨てられました。
衰弱した心身の力を回復しなければ正しき智慧が生じないと考え、ニレゼン川に入って水浴し、あかを除き身を清められました。

しかし、苦行に疲れ切った太子は、沐浴のあと、ほとんど岸にはい上がる気力もなくなっていました。
そこに通り合わせた乳買いの娘、善生女にシッタルタ太子は、一杯の乳の供養を請われました。苦行にやつれ果てておられるとはいえ、たぐいまれなる太子のお姿を拝した善生女は、喜んで太子に新鮮な乳を捧げました。

太子は気力を回復されましたが、橋陳如ら5人の従者は、この有り様を見て、

「ついに、太子は、苦行に耐え切れず堕落した。
 修行者にとっては大蛇よりも怖いといわれる女人から乳を受けた。
 あんなことでは絶対に菩提など獲られるものではない。
 あんな堕落者に随侍していたら、我々も一緒に堕落してしまうぞ」

とささやきながら、太子を見捨てて去っていったのです。

しかし一方で、決意も新たになったシッタルタ太子は、独りニレゼン川のほとり、ブッダガヤの菩提樹の下で、
「われ正覚を成ぜずんば、ついにこの座を起たず」
と強固な決意をされました。

この時より心中、幾多の変化怪象の威嚇や、女色愛欲の誘惑や、世間の利欲など、悪魔波旬が襲い来て、太子の決意を翻さんと誘惑しました。

が、静かなること山のごとく深遠なること海のごとき太子の忍耐と剛毅は、ことごとくこれを征服し、ついに35歳の12月8日、一見明星して大悟徹底、三世十方の実相を諦観せられ、三界の大導師たる仏陀となられたのです。

この歓びをあらゆる人々と、ともにしたい、の念願が心の深奥よりわき上がった釈尊は、
「われは一切勝者なり。一切の智者なり」
と宣言されました。

お釈迦様の教えを、そのまま伝えていかれた方が浄土真宗の開祖・親鸞聖人といわれます。
親鸞聖人の教えていかれたことは、親鸞会が詳しいと聞いています。

それでは、続きはまた今度に。

入門編:お釈迦様ってどんな方?(9)

それでは、今回も、仏教入門編、お釈迦様のことについて解説を続けましょう。

憍陳如は、涙ながらに太子の変心を願い、帰城を求めます。
しかし、正覚(仏の覚り)を成就するまでは断じて帰国しないというシッタルタ太子の決意は、大地のごとく微動だにもしませんでした。

「おまえたちには分からないのか!あの激しい無常の嵐が、まだ分からないのか!
ものは皆常住しないのだ。いずれの日にか衰え、いずれの日にか滅ぶのだ。
快楽のかげにも無常の響きがこもっているのだ。
美女の奏する弦歌は欲をもって人を惑わすのみだ。
三界は悩みのみ。たけき火のごとく、浮かべる雲のごとく、幻や水泡のごとし。
若きを愛すれどやがて老いと病と死のために壊れ去るのだ」

火の玉のごとき太子の菩提心を、5人の使者はどうにもできず、涙をのんで帰城し、太子の決意のほどを父王に伝えたのでした。

父王は深く首をうなだれ、さほどまで太子の決心が固いならと、一時は断念されます。が、子を思う親心から、憍陳如ら5人を、太子の元でともに修行させ、世話をするよう命じられました。
5人は王命を喜んで受け、再度太子の元に行き、五比丘(僧)となりました。

父王とヤショダラ姫は、太子の苦行を案じて、衣類や食品を送達させられましたが、太子は固く辞退されて、日に一麻一米を食して、私たちの想像も及ばない苦行を続けられました。
節食、断食、呼吸の制御、特殊な座り方、立ち方、肉体的苦痛を受けること、五火の苦行などで、肉体に打ちかつ力を養い、忍辱、忍受の精神を植えつけ意志の鍛錬をするのです。

しかし、このような苦行を続けられても解脱を得ることができず、いたずらに心身衰痩して、樹にすがって、立つのもやっとというほどになられたシッタルタ太子は、ついに意を決して従来の苦行を捨て、単身苦行林を脱出されたのでした。

さて、この話の続き、気になるところですが、次回にしたいと思います。

入門編:お釈迦さまってどんな方?(8)

今回も、仏教の入門編ということで、お釈迦様の生い立ちから学んでいます。前回の話を続けましょう。

城を出て、山へ入られたシッダルタ太子は、苦行林で未だ人類が経験したことのない激しい修行をなされます。
その修行は峻烈を極め、おそらくこれ以上の修行は今後も誰もできないだろうといわれるほどのものでした。

いっぽう、カピラ城では、突然太子がいなくなり、騒然となっておりました。
浄飯王は、憍陳如(きょうちんにょ)ら5人を遣わし、太子を捜索させました。

5人は、シッダルタ太子がバッカ仙人の元を訪ねたことを知り、急いで仙人を訪ねましたが、シッダルタ太子はすでにアララ仙人の元へ去ったあとでした。

そこで、すぐに後を追い、途中、木の下で、座禅をしている太子を発見しました。

憍陳如たち5人は、浄飯王や妻子の熱烈な思いを、何とかシッダルタ太子にわかってもらおうと必死に伝えました。

しかし、太子はまったく聞き入れようとはしません。憍陳如は、太子の気持ちが理解できず、尋ねました。

「世に出家の動機に4通りあると聞いています。長い病気の苦しみで思うように楽しむことができないとか、年老いたために体の自由と希望を失ったとか、財産を失って生きていくことさえままならなくなったとか、家族に死別して世をはかなむからだと聞いています。しかし太子さまの場合は、このいずれにも、当てはまらないではありませんか。若くて健康な肉体、何不自由のない生活、ご家族にも恵まれておられる。それなのに、なぜ若き楽しみを捨てて、出家をなされ、遠きさとりを求められるのでしょうか、私たちにはまったく分かりません。どうしても太子さまのお気持ちが分からないのです。浮世を離れた仙人でさえも愛染を起こすというのに……」

憍陳如は、涙ながらにシッダルタ太子を説得するのでした。

この話の続きは次回。

入門編:お釈迦さまってどんな方?(7)

仏教を説かれたお釈迦さまの半生を、続けてお話ししています。
親鸞会で勉強している友人が詳しく教えてくれました。

シッダルタ太子は、城を抜け出し、修行のために、山への入っていかれました。

これを「出城入山(しゅつじょうにゅうせん)」と言われます。

シッダルタ太子は、苦行林で、想像を絶する厳しい修行を始められたのです。

入門編:お釈迦さまってどんな方?(6)

仏教を説かれたお釈迦さまの半生を、続けてお話ししています。
親鸞会で勉強している友人が詳しく教えてくれました。

ある晩、シッダルタ太子は目を覚ましました。

すると、昼は天女のようだった女性たちが、歯軋りをしたりよだれをたらしたりとひどい様でした。

「だまされていた!この世のことはすべからく、ウソ偽りで、夢のようなものなのだ。
 今日こそ、出家をすべきときだ」

そう思われた太子は、こっそりと城を抜け出したのでして。

入門編:お釈迦さまってどんな方?(5)

仏教を説かれたお釈迦さまの半生を、続けてお話ししています。
親鸞会で勉強している友人が詳しく教えてくれました。

全人類が必ず直面する、老病死の問題に向き合われ、
真の安心・満足はどこにあるのか、本当の幸福とは何かを探し求める悉達多太子(しったるたたいし)。
出城を父に願い出ましたが、当然、許されるはずはありませんでした。

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「ついに、出家したいと言い出したか……」
父・浄飯王(じょうぼんのう)の不安は、現実のものとなりました。
東西南北の城門から、ふらりと出掛けたあの日から、太子は、ますますふさぎこんでいるようでした。
「金や財もある、優しい妻も子もいる、将来の地位も約束されている。
 命ずれば思い通りに動く家臣たちもたくさんいる。
 老いだの病だの、先々の心配などせず、今を楽しく生きればよいのに……」
父王には、何もかもに恵まれているはずの人生を、少しも楽しもうとしない太子の心情が全く理解できません。

「そうだ!」
はたと気づいて、ひざを打った浄飯王。
「快楽に身を任せれば、つまらぬ悩みも消えてしまうに違いない」
と、すぐさま家臣に命じ、四季折々の豪勢な御殿を作らせ、国中から美女500人を集めてかしずかせました。
昼夜、歌や舞で、太子を慰めようとしたのです。

「太子様、こちらは遠国より取り寄せた珍しい果実にございます」
「それよりこのお酒を召し上がりませんか」
「じっと座っておられても退屈でしょう?私たちと一緒に踊りましょうよ」
次々と太子を誘う、妖艶な女たちの甘い言葉。
テーブルには珍味や色とりどりの果実が並び、愉快な音楽が昼夜、鳴り響く。

勧められるままに飲んだ美酒でほろ酔いの太子、ふとこんな思いが浮かびました。
「私は考え過ぎなのだろうか?
 この美しい女たちといれば、悩みも晴れるのかもしれない……」

こうして、戯れの数年が過ぎていきました。
                            (つづく)
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「その時その時、好きなことをやればいいんだ」
「老病死の問題?考えたって、暗くなるだけ」
「生きる意味なんて面倒なことは、忘れた方が楽しく生きられるよ」
周囲を見渡せば、このように言う人ばかりでしょう。
しかしその主張を貫き通すことはできるでしょうか。

【仏教:入門編】で続けてお話してきたお釈迦さまの半生も、次回がいよいよクライマックスです。

入門編:お釈迦さまってどんな方?(4)

仏教の入門編として、仏教を説かれたお釈迦さまはどんな方か、続けてお話しています。
前回まで「四門出遊(しもんしゅつゆう)」の話をしてきました。

最後、北門で修行者と出会った悉達多太子(しったるたたいし、若き日のお釈迦さま)は、
「これこそが私の求めるべき道ではないか」
と、ある決心をします。

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ある日、太子は、父・浄飯王(じょうぼんのう)の前に手を突き、こう言いました。
「父上、今日はお願いがあって参りました。城を出て、本当の幸福を求めさせていただきたいのです」
突然の申し出に浄飯王は驚き、
「一体どうしたというのだ!おまえは、わしの跡を継いで、この国を治めねばならんのだぞ。しっかりしてくれなくては困るのだ」。
太子はうつむいたまま、じっと聞いているだけでした。なおも父王は問いかけます。
「美しく優しい妻もいる。かわいい息子も生まれたばかりではないか。何が不足でそんなことを言い出すのか」
それでも口をつぐんだままの太子に、王は哀願するように、
「おまえの望みは何でもかなえてやろう。だから、城を出て行くなどと言わないでくれ」。

その言葉に、さっと顔を上げた太子、決然としてこう言いました。
「父上、それでは申しましょう。私の願いは三つです。

 願いの一つ目は、決して老いない身になることです。
 二つ目の願いは、決して病にかからぬ身になることです。
 そして三つ目は、決して死なない身になることです。

 この三つをかなえてくださるならば、出家を思いとどまりましょう」

黙って聞いていた父王でしたが、やがて、
「ばかな!何と無茶なことを言うのだ。そんなことができるものか」
とあきれて、その場を立ち去ってしまいました。

“確かに、財産はある。太子の地位もある。麗しい妻も、愛おしい子供もいる。
 しかし、みな、老いと病と死の前に、崩れ去ってしまうものばかりではないか。
 本当の安心、満足は一体、どこにあるというのだろうか”
                               (つづく)
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人間の避けて通れぬ「老・病・死」と向き合われた悉達多太子。
しかし、これは、太子一人の問題ではないはずです。

私たちは、

お金が儲かれば、
財産が増えれば、
社会的地位や名誉を手に入れれば、
家族や恋人に恵まれれば、
立派なマイホームを建てれば……

と、どうすれば明るく楽しく生きていけるかばかりを考えています。
それらはしかし、“生”を前提に求めるもので、ひとたび“死”が来れば、根底から崩れ去ってしまいます。
その恐ろしい死は、いつも生の向こう側に透けて見えている。だから不安なのです。

死をまじめに見つめ、不安の根本を解決してこそ、一息一息が真に輝く人生となるのではないでしょうか。
太子が真の幸せを求めた原点も、まさにここにあったのです。

【仏教:入門編】では、次回もお釈迦さまの半生について続けてお話ししていきます。

入門編:お釈迦さまってどんな方?(3)

仏教の入門編として、お釈迦さまの半生についてお話ししています。
以前に親鸞会の法話で聞いた「四門出遊(しもんしゅつゆう)」の続きです。

東門で老人と、南門で病人と出会った悉達多太子(しったるたたいし、若き日のお釈迦さま)。
〝今は若くて健康でも、年を重ねれば肉体は衰える。病魔に襲われれば、昨日の健康を喜べぬ〟
太子の悩みは、ますます深まっていきます――。

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続いて太子は西門を出ました。
すると大勢の人々が列をなして、歩いていくのが見えました。
みな一様に、暗く沈んだ表情をしています。
「葬式の列でございますね」
屈強な男たちが布でくるまれた遺体を運ぶ姿を見て、従者がつぶやきました。
おもむろに太子は、列の後ろについて歩き始めました。前方から、慟哭が聞こえてきます。
「ああ、昨日まではあんなに元気だったのに、どうして……」
太子は胸騒ぎを覚えたのです。

ほどなくしてたどり着いたのは、墓場。
盛り土に木の札が立てられただけの粗末な墓が無数に並んでいます。
やがて男たちが地面に深い穴を掘り、先ほどの遺体を静かに埋めました。
「ああ、私も今は元気だが、いつか死んで、あのように野辺送りされる日が必ず来るのだな。
それは明日か、いや今晩かもしれない」
「太子さま、『生あるものは必ず死に帰す』と言います。考えても仕方のないことです。
それよりももっと人生を楽しまれてはいかがでしょうか」
「死は100パーセント確実な未来。〝仕方のないこと〟と諦められる問題なのか――」

人間である以上避けられぬ「老・病・死」の現実を眼前に突きつけられ、悉達多太子は深い苦悶に陥りました。
「人々は、日々老いや病の不安と必死に闘っているが、どれだけ抵抗しようと必ず死んでいく。
そうまでして生きていかねばならぬのは、一体何のためであろうか……」

暗い心を抱えて最後に出たのが北門でした。
すると遠くから法服姿の修行者がゆっくりと歩いてきます。
太子は思わず修行者に駆け寄り、こう問いかけました。
「あなたは出家して、何を求めているのですか」
「老・病・死に直面しても変わらぬ幸福とは何か。真実を求めています」
厳かな修行者の言葉が心に響き、太子はこうつぶやきました。
「そうだ、これこそ私の求めるべき道なのだ」
                           (つづく)
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〝死んだら死んだ時さ、考えても仕方がない〟と諦めている人ばかりの中で、
「死は100パーセント確実な私の未来、諦められない」と見つめていかれた若きお釈迦さま。
これは仏教を学ぶ私たちの原点とも言えましょう。

次回もお釈迦さまの半生を続けてお話ししていきます。

入門編:お釈迦さまってどんな方?(2)

仏教の入門編ということで、
お釈迦さまが35歳で仏のさとりを開かれるまでの半生をお話ししています。

今回は、前に親鸞会の法話で聞いた「四門出遊(しもんしゅつゆう)」の話をします。
これはお釈迦さまの有名なエピソードなんですよ。

☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
生まれながらにして最高の地位、名誉、財産、才能、家族を持ち、
思うままの生活が約束されていた悉達多太子(しったるたたいし、のちのお釈迦さま)。
ところが成長するにつれ、太子は、深い悩みを抱え、物思いにふけるようになりました。
「何を太子は思い悩んでいるのか……」
心配した父・浄飯王(じょうぼんのう)は、何とか明るい太子にしてやりたいと、
国一番の美女・ヤショダラ姫と結婚させました。

太子19歳、優しく麗しい妻との穏やかな日々――。
しかし、太子の心に宿した人生の悩みは、少しも晴れることはなかったのです。

ある時、太子は従者とカピラ城の外に出ることにしました。

まず東の門を出ました。
すると杖を突いてよろよろと歩く老人を見かけました。
顔にはシワがより、歯は抜け落ち、腰は曲がって、思うように歩けない。
隣で従者が言います。
「あの者も、かつては私たちと同じように、若くて健康だったのでしょう。
 自分もやがて、あのように老いていくのかと思うと、つらいものですね」
その言葉に、太子は大変な衝撃を受けました。
「私は、今はまだ若く、体力もある。だが、やがて必ず衰え、老苦にあわねばならぬ時がくるのか」

次に太子が、南の城門を出ると、
伝染病で身体はやせ細り、道端でうめき苦しむ病人に出会ったのです。
思わず馬を下り、助けに行こうとする太子を、従者が引き止めました。
「太子さま、あれははやりの病です。お近づきになれば、太子もかかってしまうでしょう」
その時、必死に看病する妻の嘆きが聞こえてきました。
「ああ、ついこの前まで、病気一つかかったことがなかったのに……。どうしてうちの人が、こんなことに……」
太子は愕然として、
「今どれだけ健康だといっても、私もいつ、あの者のように病に襲われるか分からないのだ」。
病人に薬を与えるよう従者に命じると、太子は固い表情で足早にその場を去りました。
                           (つづく)
☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆

仏教に「諸行無常(しょぎょうむじょう)」という言葉があります。
すべてのものは常が無い、変わり通しであるという意味です。

私たちの肉体もまた、やがて衰える。病にかかる。
太子の驚きは、太子だけのことでなく、私たちの問題です。
次回も、四門出遊の話を続けます。

入門編:お釈迦さまってどんな方?(1)

仏教の入門編ということで、前回は「仏」についてお話ししました。
復習になりますが、「仏」とは最高のさとり(仏覚)を開かれた方のことです。
地球上で仏のさとりを開かれたのは「お釈迦さま」ただお一人であり、
これを「釈迦の前に仏なし、釈迦の後に仏なし」といわれます。

そこで今回は“お釈迦さまとはどんな方か”についてお話しすることになっていました。
非常に大切な内容です。

お釈迦さまは、今から2600年前、インドで活躍なされた方です。
35歳12月8日(ちょうど今月ですね)に仏のさとりを開かれてから、80歳でお亡くなりになるまでの
45年間に説かれた教えを「仏教」といいます。

そこでまず、35歳で仏になられるまでのお釈迦さまの半生をお話ししていきます。

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世界の屋根・ヒマラヤ山脈のふもと(現在のネパール)に、かつて釈迦族の国がありました。
首府はカピラ城といい、城主・浄飯王(じょうぼんのう)の統治によって栄えていました。
浄飯王と妃・マーヤー夫人の間に生を受けられたのが悉達多太子(しったるたたいし)、のちのお釈迦さまです。

満開の花咲き誇る4月8日、初産のため故郷へ戻ろうとしていたマーヤー夫人は、
途中のルンビニーの花園で太子を出産されました。
今日、お釈迦さまのご生誕を「花祭り」といってお祝いするのは、このことに由来します。

太子は、幼いころから大変聡明でした。
7歳の時、文武の師に、国一番といわれるバッダラニーとセンダイダイバーを迎えられます。
師が1を言えば10を理解し、友人たちと技芸を競えば、筆写、計算、弓道、剣道、馬術、相撲などいずれも連戦連勝。
間もなく、2人の師が「太子にお教えすることはもうありません」と父王に辞職を願い出たことからも
その優秀さがうかがえます。

生まれながらにして最高の地位、名誉、財産、才能、家族を持ち、思うままの生活が約束されていたわけですが、
しかし、内省的な性格だった太子は、年を追うごとに悩みを深め、物思いにふけるようになっていかれました。

ある時太子は、虫をついばむ鳥が、さらに強い鳥に襲われるのを見て、自然界の弱肉強食の現実を知りました。
「これは動物の世界だけのことだろうか」と太子は身の回りにも目を向けます。

当時のインドには厳しい身分制度があり、身分が違えば婚姻はおろか、口をきくことすらできませんでした。
奴隷は市民に使われ、市民に対して王族は権力を振りかざす。しかし王族とて最強ではありません。
「弱者は虐げられ、強者だけが生き残るのは、人間界も全く変わらないではないか」

では強者は本当に幸せかといえば、
金を持たぬ者は無いことに苦しむが、金持ちは盗まれはしないかと苦しんでいる。
有っても無くても苦しんでいるのに変わりはないことに、気がつかれたのです。
世の矛盾を感じた太子は、「変わらぬ幸せがどこかにないものか」と考え込まれる日が続きました。
                                 (つづく)
☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆

悉達多太子の有名なエピソードに「四門出遊(しもんしゅつゆう)」があります。
これは仏教入門として、ぜひ知っておきたい話です。

先日、久々に親鸞会の法話を聞きに行ったところ、ちょうどこの「四門出遊」の話でした。
そこで聞いたことも交えて、次回お話ししていきます。