入門編:仏教の教えとは②

入門編として、仏教には何が教えられているのか、について前回からお話ししています。
一言で言えば「廃悪修善(悪をやめて、善を修める)」とすでに述べたとおりです。
そのことを教えた有名な話がありますので、紹介しましょう。

昔、中国に、いつも樹上で座禅瞑想していた鳥窠(ちょうか※)という僧がいた。
ある日、儒者で有名な白楽天が、その樹下を通った。
奇妙な僧がいるので、ひとつ冷やかしてやろうと声をかける。
「坊さんよ、そんな高い木の上で、目をつむって座っていては危ないではないか」
鳥窠すかさず、
「そういう貴殿こそ、危ないぞ」
と切り返した。“これは相当偉い僧かもしれぬ”と見て取った白楽天、
「私は名もなき白楽天という儒者だが、貴僧の名を承りたい」。
「私は鳥窠という名もなき坊主だ」
あの高名な鳥窠禅師と知った白楽天は、かねてから仏教に関心を持っていたので
「いいところで貴僧に会った。一体、仏教とはどんなことを教えているのか、一言でお聞きしたい」
と頭を下げた。鳥窠は即座に答える。
「もろもろの悪をなすことなかれ。つつしんで善を修めよ、と教えるのが仏教である」
白楽天はいささかあきれて、
「そんなことくらいなら、3歳の子供でも知っている」
と冷笑すると、
「3歳の童子もこれを知るが、80の翁もこれを行うは難し」
と鳥窠は大喝したという。

悪いことをやめよう、善いことをしよう、と教えるのが仏教、と聞いて
「そんなことくらい、分かっている」と白楽天のように笑う人も少なくないでしょう。

しかし本当の幸せを知り、求めていくうえで、大切な心がけなのです。
仏教を深く知らされるほど、この「廃悪修善」の心は強くなります。
引き続き仏教について入門して間もない人にも分かりやすい内容をお話ししていきます。

(※)鳥窠禅師の名前については「烏窠(うか)」とも伝えられている

入門編:仏教の教えとは①

仏教の入門編ということで、続けてお話ししているサイトです。
以前に覚えておきたい仏教用語として、「因果応報」についてお話ししました。
(因果の道理とも言います)

簡単に説明しますと、
「善い行いをすれば、善い結果が自分に現れる。
 悪い行いをすれば、悪い結果が自分に現れる」
ということです。

ではこの因果応報、因果の道理がよく分かってくると、私たちはどんな心になるでしょうか。

誰しも、幸せになりたい、善いことが起きてほしい、と思っています。
そこで「善い行いをすれば、善い結果が自分に現れる」と知れば、
よい結果がほしいから、<善い行いをしていこう> となるはずです。

反対に、不幸になりたくない、悪いことは起きてほしくない、と思っているでしょう。
そこで「悪い行いをすれば、悪い結果が自分に現れる」と知れば
悪い結果はイヤだから、<悪い行いをやめよう> となるのは当然です。

これを「廃悪修善」といいます。文字通り、“悪を廃して(やめて)、善を修める”ということです。

仏教には何が教えられているか、一言で言うならば「廃悪修善」なのです。
入門編にしては少し難しいかもしれません。
ある有名な話を通して、次回も続けてお話しします。

入門編:覚えておこう仏教用語②

前回、入門して間もない人のために仏教でよく耳にする因果応報についてお話しました。
今回も入門して間もない人でもわかる仏教でよく耳にする言葉をご紹介したいと思います。
それは、和顔愛語です。
これは親鸞会の法話を聞きに行った時に目にした言葉なのです。

この言葉の意味を入門編らしく簡単に説明すると、にこやかな笑顔と明るい挨拶ということになります。
現代では人間関係でストレスを感じる人が多く、そのストレスに耐えきれずにうつ病になったりと心の病にかかる人もいます。
つい苦しいと他人のせいにしてしまい、その人をにらんだり(!)悪口を言ったり、してしまいがちかもしれません。
そうすると、どうなるでよう。
そう、悪循環におちいってしまいますよね、
相手も私に対して笑顔なんかしてくれなくなり、悪口やら陰口やらを言ってくるようになるでしょう。
そうすると、こちらもますます・・・

もし、自分が和顔愛語の精神で仕事などに専念していれば周りから好かれ人間関係も円滑に進めることができるようになってくるのではないでしょうか。
自分の我が強く、その日その時の気分によって周りにあたり散らしているようではいけないということなのです。

考えてみれば笑顔をケチるほどケチなことはないですよね。
元手はかかりませんし、ちょっと筋肉をゆるめれば、すぐ笑顔になれるのですから。

お互い笑顔とねぎらいの言葉が響いている職場と、
お互いににらみあって、怒号やら嫌味やらが飛び交う職場とどちらが快適か、考えるまでもないですよね。
仏教では、このような日常でも実践できる善がたくさん教えられているんですよ。

入門編:覚えておこう仏教用語①

この言葉は仏教の入門編には最適だと思ったので、今回どのような内容なのかお話したいと思います。
前回、親鸞会で法話を聞いたというお話をしましたが、その法話で耳にした因果応報という言葉。

この言葉は仏教の入門編には最適だと思ったので、今回どのような内容なのかお話したいと思います。
因果応報とは、仏教の入門編らしく簡単にいうと「善い行いをしたら善いことが自分に返ってきて、悪いことをしたら悪いことが自分に返ってくる」という意味です。
仏教に関心を持ち始めると必ずと言っていいほど出てくる言葉なので覚えておくといいでしょう。

因果応報、他の言葉では、因果の道理とか、因果律とかいいますね。
関連した言葉では、因縁とかいう言葉も。

因果とは、原因と結果、という意味ですね。
どんな結果にも必ず原因があるし、原因なくしておきる結果は絶対にない、ということです。

ちょっと宗教的なイメージとは違うように感じませんか?
宗教ときくと、そんな因果を超越した世界だけが論じられるといったイメージがあるかもしれません。
たしかに、狐や狸のたたりとか、印鑑がどうとか、家の向きがどうとか、先祖のたたりとか、
この世の因果を越えた、理屈ではもう分からない世界が宗教だ、というように思われていますよね。
たしかに、そういう宗教がほとんどです。
でも、仏教はこの因果の道理が根っこにある、とても科学的な教えなんです。

自分がうける結果には、自分自身になんらかの原因がある。
だから悪い結果がきたときには、他人のせいにせずに自分自身を反省する、
善い結果がきたら、より善い結果がくるよう、努力していく、
因果応報、因果の道理ということがよく分かってくると、そんなスガスガしい人生になってくるのですよ☆

入門編:本物を見分ける

入門編として仏教についてお話しているサイトです。
先日、親鸞会という仏教の集まりで法話を聞く機会があったので行ってきました。
今回はその時の法話についてお話したいと思います。

法話を聞くことになったのもブログなどで仏教について書かれてあるサイトを見るようになったのがきっかけです。

今は仏像や骨董品などに興味を持っている若者が多いためか、年齢層も若干若いような気がしました。
どうやらテレビ番組の影響のようなのですが、それでも各地に眠るお宝が次々とその番組に持ち込まれ、想像をはるかに超えた高値にびっくりするといったこともしばしばありますよね!

まぁその反対の場合もあるのですが・・・
以前も、毛利家から譲り受けたという”雪舟の絵”が鑑定に出されたのですが、本人は一千万円を信じていたのにもかかわらず、実は5万円程度の偽物で、先祖代代家の宝といて大事に守りとおしてきたものが、二束三文だとわかり放心状態の持ち主の姿がありました。

有名な話ですが、あの聖徳太子は仏教こそ何億円どころではない人類最高の宝だと言っていたことを思い出しました。

「篤く三宝を敬え。三宝は仏・法・僧なり、すなわち四生の終帰・万国の極宗なり。何の世・何の人かこの法を貴ばざるそれ三宝に帰せずしては、何を以てかまがれるを直らせん」

というように有名な『十七条憲法』に聖徳太子は、こう喝破しているのです。

“世の中には三つの宝があり、仏と仏の説かれた法とそれを正しく伝える僧のことである。

三宝を心から敬い、いずれの世いずこの里においても仏法こそすべての人の最後のよりどころであり、救われる唯一の教えである”といわれたのです。
真実の仏教こそが私たちを本当の幸福に導くすべての人のための宝です。
しかし、その本物を知らないで偽物の仏教を本物と思い込んでしまっているほど不幸なことはないのです。
本物を見分ける目を養うことが大切になってくるのです。

仏教入門:2つの仏教

仏教の入門編として自分で勉強したことや知ることが出来たことを書いているサイトです。
今回は入門編第2弾として、「違い」についてお話したいと思います。

仏教っていろんな宗派があるけれど、どれも一緒なの?
うちは代々真宗だけど、他の宗派とは何がどう違うのかしら?
といった素朴な疑問がでてくるのも入門したてだと仕方のないことです。

仏教には主として「2つの仏教」があると言われています。
それは「聖道仏教」と「浄土仏教」のことをいいます。
では、これら2つの仏教はどこが違うのかをお話したいと思います。

まず、聖道仏教というのは、自力の仏教ともいわれ、厳しい修行などによって煩悩を抑え、減らし、なくして、さとろうとする教えです。
それに対して
浄土仏教は阿弥陀仏の本願によって無明の闇という心が晴れて、煩悩があるままで本当の幸せになれる、という教えなのです。

簡単に2つの仏教についてお話したのですが、入門編なのでもう少し分かりやすく書いておこうと思います。
仏教とは、仏の説かれた教えのことであり、仏というのは約二千六百年前にインドで活躍されたお釈迦様のことを言います。
35歳の12月8日に仏という大宇宙最高のさとりを開かれたお釈迦様が80歳でお亡くなりになるまでの45年間、説いていかれた教えを今日仏教といいます。

先ほども仏教を大まかにわけると聖道仏教と、浄土仏教の二つに分けることができるとお話しました。
聖道仏教とは、天台宗、真言宗、禅宗、華厳宗、法相宗、律宗などを指し、浄土仏教というのは、浄土宗や浄土真宗のことをいいます。
「でも、同じ仏教だからどちらでもいいのではないか?」なんて考える人もいるかもしれません。

しかし、決して同じではいいものではないのです。
この事についてはまた次回お話したいと思います。